Blog Clender

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試行錯誤、暗中模索の日々は続くよ、と

スピリチュアルによく出てくる言葉なんだけど
「ジャッジしてはいけない」という言葉。

どんな良い言葉も理解を誤るとか
曲解してしまっては意味が無いのだけど
この「ジャッジしてはいけない」というのも
自分に都合良く使ってしまえる言葉だけに
気を付けないと、と思うのね。

そもそも何かを「ジャッジ」と見なした時点で
その事自体が「ジャッジ」じゃないか?
と私なぞは思っているんだけど。

スピリチュアルが扱う「見えない世界」とか
「心の問題」については
狭い範囲の常識を当てはめてしまうと
時に見るべきものを見失う、見誤る、
といのは事実だと思う。

例えば日本なんてホントに狭い島国で
この狭い土地の中の常識だけで
すべてを判断しようとするなら
窮屈なことこの上無い。

しかし
この土地で生活することを選んでいるなら
それなりにこの土地の常識にも
合わせて振る舞う必要はあるわけで

振る舞いは適度に周囲に合わせつつ
内面は自由である、という生き方で
適当に人生やり過ごして行ければ、とか
考えていたりするのですが・・・

時々しんどくなってるのは
やっぱりドコかに無理があるのかな〜。

たとえ「ジャッジしない」としても
何かを判断する基準は必要なのですが
その際に言われがちなのは
「社会常識の範囲内」とか
「人に迷惑を掛けなければ」みたいなこと。

しかしそれすらも超える事態も起き得るのが
「スピリチュアル」って奴で(笑

人間のチッポケな「人智」なんて
ホントに笑っちゃうぐらいに軽々と
超えちゃうことがある。

彼方の存在達っていったい何考えているんだ?
と思いながら呆れながら「参ったな〜。」と
頭抱えて悩んで困ってジタバタして

それでも真正面から受け止めて
悩んでもがいて愚痴りながらも
自分なりに頑張ろうとしていれば
それなりに見守ってくれる優しさも
どうやらあるみたい?かな?

私の記憶はかなり微妙なんだけど
それでも多少は古い記憶が残っていて
それが今の人生の何かの拍子に
時々フラッシュバックしてくるのね。

そして他人のやることを見ながら
「あ〜また同じことやるんかな〜。」
とイライラしたり凹んだり。

同時に私も誰かから同じように
「また懲りずにやってるわ。」と
思われていたりするのかな?と思ったりもして。

でも最近は繰り返しを恐れなくなったかな。
自分の繰り返しも
他人の繰り返しも
とりあえずは
それはそれとして受け止めて
まさか今回はそれだけで終わるつもりじゃないよね?
と思って見るようになってきたかな。

以前の自分も今の自分も
どこか似た要素を持ってしまうのは
元が同じ魂なんだから仕方無い。

そして
似たようなことをやらかしたとしても
今度はそこから以前とは違う結果を導き出せるなら
それで良いんじゃないかな?ってね。

繰り返しを恐れて逃げて、避けても
繰り返すべきものからは逃れられないんだよね。

それを繰り返してやり直して
前回導き出せなかった答えを
今度こそ出したくて生まれ直してきた、って
こともあるんだと思うんだよね。

コレも私は音楽やダンスと同じだと思ってて
同じ要素でもバリエーションが異なれば
全然異なる表現が産み出せるように

今度はどういうバリエーションで
どういうものが産み出せるのだろうか?と
実験しているようなものじゃないか、とか。

恐れていても
逃げていても
何も産み出せないし
産み出せなければ
産み出せるまで何度でも
彼方は色々仕掛けてくる気もするし

仕掛けは既に色々と。
それが結果として何か出て来るのか
何も出て来ないままで終わるのか
私には分からない見えないところで
結果として何かが動くことになるんだか

私は大きなことは
よく分からないのであまり考えない。

ただ社会常識的にどうであれ
大切にするべきだと思ったものを
大切にすることだけ考えている。

深い部分から感じられる
優しさ、思いやり、心遣い、
それらが繊細な波動として伝わるのを
周囲が何と言おうと
自分の中のチッポケな常識が困惑しようと
大切にするべきものとしか思えない。

魂の声を頭で否定することは
ある意味で「人」として生きること
否定してるようなもので

しかし魂の声のままに生きることは
現実問題なかなか難しいことでもあって

一番良いor少しでもマシな
方法は?生き方は?と
試行錯誤、暗中模索の日々は続くよ、と。


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グダグダと

私は基本的に自信無い人なので

自分が感じたものについて
本当か妄想か単なる勘違いか、と
毎回毎回疑い続けているので
それだけでかなり消耗しています。

色々な人には太鼓判押してもらってる。
雲の上のように思う人や
凄いな〜と思ってる人にだって
大丈夫だと言ってもらってる。

それでも自分で自分を疑い続けてる。

だから感じたものが確かなものかどうか
それが確かに実現するかどうか
いつも経過を神経すり減らして見ている。

結果を意図的に故意にねじ曲げられることもある。
相手の内面がある程度は読めるので
それは嘘だと分かっていても
やはりそこに至るまでに
キリキリと張りつめ続けた神経は
嘘に耐え切れず相当に傷ついてしまう。

他人様の素の姿や
ちょっと先を感じるというのは
私にとっては
非常〜に神経を使うもので

それを伝えるべきか
伝えないべきか
伝えるべきと感じる時に
どうやって伝えれば良いのだろうとか
言葉の選び方や伝え方に悩んだり

黙っていれば良い時と
黙っていてはダメな時があるから。。。

私の言葉で人を怒らせた後には
こういうことって自分には
つくづく向いてないと思うし

逆に自分の言葉等で
人に影響与え過ぎたと思う時にも
やっぱり余計なことをしたんじゃないかと凹んでしまう。
予想外の感謝とかもらっちゃうと引いてしまう。

自分の言葉で人が影響受けることを
快感に思うような人もいるんだけど
私はそういうのは引いてしまう。

かといって「コレはヤバい。」
と思って何とか伝えようとしたことを
スルーされてドツボにハマった人を見ると
「何でもうちょっと真面目に考えてくれなかったかな。
 私の伝え方やスタンスが悪かったかな。」
とそれはそれでまた凹んでしまう。。。

今のところ救いなのは「ドツボ」と言っても
大した「ドツボ」ではないところかな。

自信無いのにその手のことに
出会ってしまうことが嫌で
引きこもっているということもあって

そもそも他人に何か言う前に
自分のことを何とかしろよ、と
ツッコミどころ多過ぎな自分に凹み中だしね。

それでこんな事を考えてみたとしても
何がどうなるというものでも無いんだけど
なぜか考えてしまうので
グダグダと書いてみたり、とか。

「セッション」

スピリチュアルではよく
「セッション」という言葉を使うけど、
音楽も「セッション」という言葉を使うのね。
その場にあつまったメンバーと楽器で
即興演奏を行うこと。

その場の雰囲気と
メンバーのノリとテクを総動員して
直感的に出来上がる音楽の面白さ。

私のイメージの中で「セッション」という言葉は
人が寄り集まって
その場限りの何かを共に創り出すこと。
そしてそれを共に楽しむこと。

Wikipediaの「セッション」の項目も面白い。
私のイメージはコレだな〜って思う。

・複数のミュージシャンが共に演奏すること。一度きりのものなど、継続的でないものを指すことが多い。ギグやジャム。
・コンピュータの用語で、一連のインタラクティブな操作のこと。典型的にはログイン(ログイン)してからログアウト(ログオフ)するまでが一つのセッション。
・コンピュータネットワーク用語で、一連の通信のこと。典型的には接続を確立してから切断するまでが一つのセッション。
・CDにおいて、リードインに始まりリードアウトに終わる一連のデータのこと。CD EXTRAや追記したCD-Rでは複数のセッションが存在する(マルチセッション)。
・テーブルトークRPGにおいて、参加者が集まってから解散するまでの一回のゲームプレイのこと。

私のイメージする「セッション」に於いては
その時に何が産まれるかはほとんど予期不能。

子どもの頃に習ったピアノの先生で
一番相性が良かった先生との間に
産まれていたものを思い出したり。
周囲からすればたかが
小学生の習い事だったろうけどね。

子どもっぽいところもあるけど
子ども相手に真剣に向き合ってくれた先生に
めっちゃ細かく嫌になるほど指導されながら
必死で練習して発表会で弾いたドビュッシー の「夢」は
今でも私の宝物だもんね。

人と人が出会って産まれるもの。

喩えがアレかもしれないけど
以前から音楽とダンスとセックスとヒーリングは
似てるな〜、というより
根源的には同じものだと思っていたりする。
どれも「セッション」なんだよね。

だからどれも分け隔てる必要は
それほど無かったりするんだとも思うけど、
セックスだけはプライベートな
諸要素が絡んでくるので
簡単に語ってしまうのは多いに問題有り、だね。

ついでに言うなら
人のプライベートな要素を無視して
スピリチュアルとセックスを安易に結びつけて
分かったようなことを語ろうとする人達は
私はやっぱり大嫌い。
悟りすましたような顔をして
分かったような事を言うな、って思うよね。

人には尊厳ってものがあるんだよ。
何かに良いからという理屈で
心押し殺して好きでもない人と出来るかって。
そんなものには結局のところ
何の意味も無いんだよ。

「何の意味も無い」ことが理解出来ない
頭でっかちなスピおたくなんてホントに大嫌い。
それだったら「生活のため」と言う方が
よっぽどマシだと思う。

話が逸れたんだけど
「セッション」って何が起きるか分からないから
「セッション」なのであって
何も産み出せない、失敗だったと感じる
「セッション」というのもあるかもしれない。

でも予想外の何かが産まれることがあって
それをたまに楽しんだり喜べたりするなら
良いんじゃないかな、とか。

人と人が出会って交流する楽しみは
そういうもんじゃないかな。

人に何かを期待して、求めて、
期待に沿うものが見出せなければ
意味が無いと言うのは
そう言いたくなる気持も分かるけど
でもホントのホントは違うんだよね。

いつでも
コレが何のキッカケになるんだろう
ココから何か産まれることがあるのかも?と
楽しめるような心の余裕を
持てる人になれると良いな〜とか。

ノリが違う人とのこと

「スピリチュアル」っていうキーワードで
寄って来られる人のノリに
何か違うな〜?と思うことが多くて

いったい何だろうな???とモヤモヤ。

良し悪しの問題じゃなくて
「ノリの違い」に違和感感じるだけ。

天使がいようが、
ハイヤーセルフがいようが
守護霊様がいようが、
あまりにあんまり当たり前のことで
それらとのコミュニケーションが
人生の最終的な解決策になることは
無いと思うんだよね〜????

見守っていてくれたり
必要なヒントをくれる時もあるかも?
だけど基本的には放置プレーじゃん?
「それぐらい自分で考えて何とかしろ。」
って感じで。

波動が分かるからと言って
波動の高低にこだわって
自分より低い、悪い波動を忌み嫌うとか
勘違いも甚だしいとしか思えないし

「霊的成長」というたいそうなお題目を
見かけることも多いのですが
私的にはいまいちピンと来ないな〜。

私がこうなったら良いな、
と思うのは

普段を少しでも穏やかに
良い感じに過ごせて

それでもやっぱり怒る時は怒るし
凹む時は凹むんだけど

その感情の起伏の波が
あまり行き過ぎないように
自分で自覚してコントロール出来て

少しでも「生きる」ということが
楽になれたら良いね、みたいな感じ。

精油は自分の心のコントロールに
使えるから使っているんだし

エネルギーの動きからその時々に
必要な精油を選べるのは便利なので
そのことについて
もっと深く考えたいわけで

石さん達とのコミュニケーションは楽しいし
時には感動すらするし
綺麗なアクセサリーが作れたら嬉しくなるし
だから作りたくなるわけで

時々、喉の乾きを感じるように
自分に必要なものを感じる時があって
それを満たすために
どうしてもコレをやらなきゃと
突き動かされるように動く時はあるけど

そのために
行かなくてはと思う場所に行ったり
人を求めたり
モノを求めたり
エネルギーを求めたり

それはほとんど生存本能に近いものであって
それが無いとどうにもこうにも落ち着かないとか
時には身動き取れないぐらいに弱ってしまうので
自分でも変なことやってるな〜と思いつつ
やむを得ずやらざるを得なかったり、とか。

そんな高尚でたいそうなモノじゃないと思うんだけど?
どうしてそんな凄いことにしたがるんだろ?
そんな人ばかりじゃないよね?
と思いたいけど・・・

決して悪気は無いけどノリの合わない人が
寄って来た場合にはどう対処すれば良いんだろ〜?
完全スルーで良いのかな〜?
相手したってどうせ疲れるだけだしな〜

な〜んてあまりに失礼かとも思うけど
事実だから仕方無い(^ ^;

そういうノリの違う人達が
寄って来るようなことを
言わなきゃ良いだけのことかな〜。

里帰りしたのかな?

去年の年末に、濱名惣社神明宮に行ったら
境内の山にいた何か
(↑以前から何だろう?と思ってた)
が私の中にスルスルっと入ってきた
ということがあったのですが

何だったかな〜?と思いながら
ほとんど意識することなく半年経過。

昨日、急にそれ(?)が
「里帰りしたがってる。」
という感じがしたので
半年ぶりに行ってみました。

途中、細江神社のお祭りをやっていて
浜名湖に飾りを付けた船が浮かんでいたり賑やか。
こんなお祭りもあるんだね〜と横目で見ながら
車を走らせて神社のある三ヶ日町も
ちょうど夏祭りで町中はお祭り気分。

でも濱名惣社神明宮とは関係無いらしく
境内はいつものように人気もなく静かでした。

不思議なんだけど
いつもココを訪れるたびに
懐かしく呼ばれる感じがする。
参道を通るだけで懐かしさに泣きそうになる。
不思議。

お参りしていたら
やっぱり中にいたものが
スルスルと抜けて行ってしまって
このままお別れなのかな〜っと
見送っていたら

突然、背後に男性の気配を感じたのね。

人気の無い境内に一人きりだったし
背後から来る人の気配って
まさか怖い人だったら嫌だな〜っと
ドキっとして足元に落ちる影を見るけど
私の影しか無いし

思い切って後ろを振り返っても誰もいないし
でもすぐ背後にピッタリ立ってるんだよね〜。

何だろ何だろとドキドキしたんだけど
結局はすぐに足元の蚊が気になって
早々に退散したという・・・(^ ^;

守ってくれていたものが
戻って行ったというのは
必要無くなった、ということなのかな?

背後に立った人は
誰だったのかな〜?

そんなことを思いつつ帰宅。

夜はビール飲んで酔っぱらって寝てたら
ずっと傍に来てくれている。
寝たり起きたりしたけど
ずっとそこにいてくれてる。

こういう時もあるんだな〜とも。

朝起きてみたら一昨日から咳をしていた
次男君が発熱。
明日から幼稚園のお泊り保育。
間に合って熱が下がれば良いんだけど。。。

っと、ココで終わりにするはずだったけど
去年の記事が出てきたので貼ってみよう。
読み返したら「何書いてるんだ私?」と
ちょっと恥ずかしいんだけど
敢えて恥を忍んでみる(私って勇者♪)

↓去年の日記
天岩戸に思うことつれづれ等
先日のできごと、追記

空間作りを試行錯誤してみたり

だいぶ前から
自分が落ち着ける時間と空間が欲しくて

子育てやってるママに
そんな時間と空間なんて
なかなか確保出来ないものだけど。

私って「自分だけ」の場所とか時間とかが
無いと耐えられない人なんだ〜って
子育てが始まってすぐに気がついたけど

そんなのワガママじゃないかとも
思ってもみたり。

でもどうしても耐えられないと理解したのは
いつだったかな〜。

それでも我慢していたんだけど

一昨年、自律神経失調症をやっちゃって
「この手の無理は禁物」だって思い知ったのね。

つくづく私ってば「猫」だな〜と思ったり、とか。

好きな空間を確保する、をテーマに
お店探したり、カフェ探したり、色々と。
家の中でも実現出来るんだろうかと
模様替えについて考えたり。

先日、とあるスピリチュアルなお店に行った時
そのお店にはサンキャッチャー的なものが
幾つか飾ってあり

数年前に見てもらった人にもそういえば
「部屋にサンキャッチャーを付けると良いんじゃない?」
って言われてたな、と思い出して
そのお店の人と私の部屋に
必要なサンキャッチャーはどれだろう?と
1つじゃ足りないし、ね、とか
コレとコレかな?とか?相談していて

そのうちにステンドグラスで出来た
大きな窓飾りが気になって
(直径25センチぐらい)
見ていると私のハートが反応するのね。
ハートのエネを強めてくれるような感じ。
コレなら1つあれば充分だとも。

モチーフは神聖幾何学の「フラワーオブライフ」
というものだと教えてもらったけど
ルーンのハガラズを思い出すモチーフでもあり
良いな〜と思って思わず衝動買い(^ ^;

部屋に飾ったらグワ〜ンと
部屋の空気が変わって面白かった。

その窓飾りを選んでいた時に
「自分のお気に入りを集めた空間を作ったら良いのに。」
と言われて、ずっとテーマにしてるだけに
やっぱりそうだよね〜と
改めて空間作り熱が再燃しているわけです。

下の子が
来春、小学校入学ということもあり
オモチャを整理して子ども部屋を作って
リビングを大人向きに変えたいとか
色々構想しているんですけどね

インテリアを変えるにはまず先立つものが(> <)
それと気力、体力も必要〜。

念願の「自分のお気に入り」スペースを
確保するためと思えば何とかなるのかな。。。

自分のお気に入りを集める、と考えるたびに
思い出すのは矢野顕子の「ひとつだけ」の歌詞。

自分だけの
欲しいもの、楽しいこと
自分の好きなモノを集めて
自分のお気に入りを作って

でもね、
一番欲しいもの
一番楽しいことは
ひとつだけ

欲しいものは
あなたの心の白い扉をひらく鍵

楽しいことは
あなたの口からあなたの夢を聞くこと

この歌を忌野清志郎さんが歌うと
「白い扉」を必ず「黒い扉」って歌うのね。

大事な人の心の扉。

人の心の扉には
白い扉も黒い扉も
両方あって

黒い扉を開けることが
出来るような相手には
巡り会うことは
なかなか無いんだけど

キラキラと美しいスピリチュアルに
黒い扉を本当に受け止める器量は
あるんだろうか?って思ってる。

何だか話がズレちゃったな〜。

矢野顕子の「ひとつだけ」は
色んなアレンジがあるのだけど
この動画のバージョンも素敵。

ママ友達の会話より

昨日、ママ友達と話していて
共通の知り合いに一緒に購入を頼んだ
美味しいパンの話題になったのだけど

それが冷凍で来るんだけど
一斤のサイズが大きくて
かなりかさばるので他の家族分まで
冷凍庫に保存出来るわけもなく
到着したらすぐに引き取らないといけない、
という話。

前回頼んだ時には注文してもらった人の
「ついでがあるから」というお言葉に
甘えて持って来てもらったのだけど
一緒に頼んだママさんには
連絡が着かなかったらしく
「携帯も繋がらないしどうしよう?」と
注文した彼女は困っていたのね。

その後、どうされたのか
聞いてなかったのだけど
あまり気にしていませんでした。

その後、また「注文しない?」という
お誘いがあったのでお願いしたよ
という話を昨日はしてたわけ。

で、彼女が
「今回はコチラから受け取りに行くことにしてる。」
って話したのを聞いて
「あ、そっか、今度は私も受け取りに行かなきゃ!」
とや〜っと気がついたのね。
それと前回、困っていた彼女に
何の手助けもしなかった自分にも気がついて

そんな事にも気がつかないって
自分ってホントに気が廻らない奴〜っと
凹んじゃったり。

話していたママさんは誰にでもそつなく
気配りが出来て人付き合いが上手。

いつも気が利かない自分だけど
こういう人のやり方を真似すれば
ちょっとはマシになるのかな〜?
とか考えてたら

急に眉間がグルグルして
身体の気もグルグル廻り出して
ググ〜っと何かが抜けて行きました。

「気付き」とか「学び」とか言うのは
どんな瞬間にもあって
たぶん本や何かのウンチクよりも
日々のいわゆる「雑事」の中から得られたものは
数段階パワフルなのかもしれない、と思ったり。

私がスピリチュアル系の本を
あまり読まない理由はその辺りにもあるかな。

一般的には通じないような
分かったような分からんような
理屈や用語には魅力を感じないというか。

本質を理解するというのは
そんな上っ面なものじゃ
不可能じゃないかとも思うし。

用語の本質的な意味を
誤って理解している場合には
せっかく覚えたその用語も
無意味になる
or
逆効果になることもあるかも?とか。

日常のことで精一杯で
スピリチュアルなことは正直
ホントにどうでも良かったりする。

スピリチュアルな理論に合わせたような
清く正しく美しい人生を送りたい、
なんてこと、今さら思えないし

「スピリチュアル」に邁進出来る人の心境が
正直、不思議でたまらなかったりもする。

ただ話しかけてくる存在やエネルギーと
対話すると自然に起きることがあり
それが不思議だったり
面白かったりすることがある。

でも日常生活で頭いっぱいで
身も心も疲弊してる時に
そんなすっ飛んだ世界を
楽しんでる余裕も持てるはずもなく・・・

どんな奇跡よりも
苦手意識の強いママ友達とのお付き合いが
うまく廻るようになる方が
何百倍も何万倍も嬉しいと思ったりするね。

というか、
日常生活が人並みにそつなく
うまく廻る人になれるなら
こんな中途半端で人との関係を
ややこしくするばかりの能力(笑)なんて
喜んでお返しするよね、ホント。

夢で出会った人の本

七夕の日に書いた日記にも書いたけど
夢の中で出会った外国人のおじさんのこと。

調べてみたらその筋では有名人だった。
本も色々出てたので
ちょこっと立ち読みしてみた。

アセンションがどうとか語っておられていて
私はその手の世界は苦手なので
避けていたんだけど
そのおじさんが書いてる本なので
まぁまぁちょっと読んでみようかな〜と。

その手のことについて
なんとな〜く感じていることは
あまりにもあやふやでまとまらないし
ブログとかツイッターとかで書いちゃうと
かな〜り語弊がありそうなので書かない。

以前にもノストラダムスの大予言もあったけど
どこか似たような匂いを感じるな〜と。

予言は
人を脅すためにあるものじゃなくて
何か考えるキッカケのために
本来はあるんじゃないかな〜?
という程度にしか考えてないな、私は。

でもって、そのおじさんの自伝が面白かった。

少年時代に突然異次元の存在と
コンタクト取るようになった話。
そして異次元の存在は色々なことを教えてくれた。
でも自分の実生活は何も変わらない。

何でも分かっているような凄い存在と
コンタクトが取れるようになっても
相変わらず家族のことで悩んだり
子どもらしい悩みから逃れることはできない。
それで少年は失望を感じたとのこと。

その部分が深〜〜〜く腑に落ちて
その本を読んで良かったと思えた。

素晴らしいものと繋がった瞬間に
あなたは変わるのです!
みたいなことって違うんだな。

そういう事を言っちゃえる人達って
何か勘違いしちゃってるか
何かに酔っているに過ぎない、
としか思えないんだな。

私も自分のあまりに変わらなさというか
かえって酷くなった(とその時には思った)
ことが増えてしまって
ヤケになってたこともあるもんね。

自分に何が起きたんだろうかと
悩みに悩んで
似たような体験をした人達の本を読み漁って
みなさん素晴らしいことを書かれているので
ますます悩んじゃったもん。

「真実」=「素晴らしい」????

「真実」は「当たり前」のことであって
別にそんな「素晴らしい」ものじゃない。

真実を知って気分を害したり
心やプライドが
傷つくことだってあるじゃん。

それでもまっすぐに愚直に
目を背けず、逃げること無く
あなたは「真実」を求めますか?
という話になるような気がするな〜。

この話はどういう流れになるんだろ?
コレで終わるのかな?
あるいはもう少し求めてみたところで
またいつもみたいに失望して終わるのかな?

どうなるのかな〜?

参るな〜

もう嫌だとか
やめたいとか
思い詰めた時には
必ずあちら側のアクセスがある

ほらね?って言われてるみたいな

いつもながら参るな

コレが運命だと
語りかける声を聞いて
泣きたくなるのは

どうしてかな

嬉しいんだか
悲しいんだか

切ないな

一区切り、みたいなものかな〜

色々と煮詰まって
Blogやめようかと思ってたけど
面白いことがあったので再開。

ホントのホントに止めるぞ〜と
思い詰めていたけど
夢を見たのよね。

家族とハワイに行って
この家に住むのだと言われて
言われるままにその家に入ろうとしたら
隣に別の扉があることを発見。

そこにはアロマ、フラワーエッセンス、と書いてある。
最近非常〜に精神的に落ちていたので
こういう時にフラワーエッセンスも良いかな、
しかしハワイ産のフラワーエッセンスなんてあるの?
と怪訝に思いつつも家族から1人離れて
そちらの扉に入ってみる。

中に入ると最初は白髪混じりの
あごひげの外人の男性が出てきて
「フラワーエッセンスありますか?」と聞くと
「あるにはあるけど・・・」という感じで出してくる。

でもフラワーエッセンスには詳しくない様子。
話し込んでいたら隣の家にいるはずの家族も
私の様子を見に来てた。

中からさらに数名出てきて
最後に女性が目の前に座って
この人も英語の人かしらと身構えたら
流暢な日本語を喋るので安心する。

そして私もこのフラワーエッセンスは
売っているだけで詳しいことは
よく分からないのよね〜、というノリ。
パンフレットの説明文を日本語にすると
日本人にも分かりやすいかな?
みたいな話でその場が終わる。

そのお店には「アウラカシア」社の精油も
あるような事が書いてあったのに
でも実際には無かったな〜
とか思いつつ目が覚める。

目が覚めたらどうしても
ハワイ産のフラワーエッセンスが気になって
何としてでも見に行かなくちゃと早速検索。

浜松市で扱っているというお店の中に
数年前にチラッと覗いたお店を発見。
そこの方から何か言葉を交わしたとか
何と言う出来事があったわけでもないのに
なぜだかキツいイメージを感じてしまって
以来、足が遠ざかっていたお店。

でもお店の方が
決してフラワーエッセンスには詳しくないけど
商品として置いてあるという雰囲気が
夢の中のお店と共通点があったので
とりあえず商品を見るだけだし、と
数年ぶりに行ってみることに。

数年ぶりなので場所も移転していて
お店の雰囲気も随分変わっていて
中を覗くとパリッとした紳士と面談中。
あとしばらくしたら中に入れると言われて
近くをウロウロしながら待つことに。

しかし「あと15分ほどで終わりますから」
と言われただけで数年前とはすっかり
雰囲気が変わられた、と分かったのよね。

スピリチュアル系に関わってきて
こういう変わり方をした人は
たぶんほとんど初めて。

私が知ってる狭い範囲の中だけで言えば
たいていの場合
「どうしてこうなっちゃうの?」
になるんだよね。。。

そのたびに「私なぞに何が分かるか?」と
自分にツッコミ入れるのも嫌でね。。。

そんなことばかりだったから
だからスピリチュアル系に関わるのが
嫌になった、ってこともあるのよね。

でもこういう人もいるんだ、と思うと
ちょっと嬉しくなってきて
しばらくしてから再度お店へ。

お目当てのフラワーエッセンスはもう品切れでした。
でもたぶん品切れだろうと
何とな〜く予感はしていたので納得。

お店の中の商品を見ながら波動の心地良さに
ココにいるだけでヒーリングになるな〜って。

お店はパワーストーンのアクセサリーが多くて
壊れてしまったキーホルダーの代わりに
なるものを探していたのが
ちょうど良さげなストラップを見つけて
いくつか見比べていたら
「コレが合うんじゃないの?」と言われるのが
私のオーラの色。

「なるほど〜オーラや波動的なものを
 読みながら選んでおられるんだ〜。」と。

それからちょっと雑談になったんだけど
特別に何も言われなくても
ちゃんと色々見て言われているんだと
納得できる言葉ばかりで
でも押し付けはしないと決めておられるらしく

こういう人もいるんだな〜って。。。

数年前と今の自分が変わったのは
とあるスクールで勉強したことがキッカケだと
話されたので
失礼なことを言いますがと断りつつも
「本当にあの頃とはすっかり変わられて・・・」
とか、ついつい言ってしまう私がいるのね。

以前も充分凄い人だと思ってたけど
今は凄いじゃなくて深いというか
言い方に語弊があるかもしれないけど
意識はされていないと思うけど
自然と自分を「低き者」とされてるな、って。

「スピリチュアル」もこういう変化を
実際にもたらす可能性があるものなら
もうちょっと信じて良いかな?と
やっと思えた。

ちなみにこの方が学んだと言われたスクール。
アメリカ人のスクールの日本校なのね。
主催者の方の顔が夢で出てきたおじさんなら
コレは間違いないぞ〜と思いつつ
先ほど検索してみたらやっぱりBINGOだった。

ついでに「アウラカシア」の意味も分かった。
お店の方はオーラとアカシックを見ながら
私とお話されてたのよね
って、コレはちょっとこじつけかも〜。

ともかく今までの集大成みたいな話が出来た気がする。
ある意味で一区切りついたような気もする。
(そう思いたいだけかもしれないけど)

そういえば今日は七夕ですね〜とか
何気に言われたり。
雨だから恋人達の逢瀬は今年も無いのかしらとか
天気予報によれば夜には晴れる予報だったのにとか

そんな話をしながら
ついつい色々と買物してしまったのは
仕方無いというか、何と言うか・・・・

何とかしないとな〜(> <)