スピリチュアルって何が絶対に正しいとは
言い切れない世界だと思ってるんだけどね。
(人としてやっちゃダメじゃない?はあるかもだけど)
正誤の問題よりは「相性」の部分が
大きいと思ってるのね。
先日、出身校の同窓会支部会のお手伝いに
近所の教会に行ってきました。
同窓会を何十年も支えて下さってるのは
70、80歳のお年寄りの方々で
何十年も通っておられる教会を借りて
毎年準備作業をされておられるとのこと。
私は今回、初めてお手伝いに呼ばれたのですが
こういう裏方とかお手伝いとか
地味〜なことだけど
呼んでいただけるというのは
やっぱり嬉しいことですね。
お手伝いのメンバーをみる限り
「教会生活のノリ」を知る人だからと
呼んでもらえたというあるかな、と。
教会は信徒の方々のお手伝いで
成り立っていると知っているし
そういう教会生活に慣れていると
他のことでもやっぱり自分が出来ることは
何でも手伝うのが当たり前だし
(そうじゃない人もいるけど(^ ^; )
親も祖父母も親戚もそうやってきたし
自分もそれが当たり前だと知ってるし
でもこのノリはこの生活を知らない人には
理解出来ないかもしれないのね。
他にも同じような無名の人々の奉仕で
成り立っている世界は色々あるけど
同じ「ノリ」を共有してる間柄だからこそ
理解し合えることがあるよね。
私のスピリチュアル観の中にも
やっぱりクリスチャン的な要素は
あるんだな〜と、最近思うことがあって。
もしも自分が何かしていたとしても
あくまで手伝わせていただいてるだけだし
「下働き」に過ぎないんだよねって
キッチリ自覚出来る人がやっぱ好きだなって。
イエスキリストは
人々が忌み嫌う人と共にいることを選び
形骸化した権威よりも
人が人らしくあることを尊び
罵られ罪人とされても
甘んじてそれを受け入れた方であって
私はその生き方を追いかける人の
末端の1人であるというのは
たぶん一生変わらないだろうし
こういうのって
誰にでも理解されないと知ってるから
理解してもらえるかな?と
思える人を見つければ嬉しいし
そういう人と
志をシェア出来ることがあれば
ありがたいと思うんだろうな〜。












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