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天岩戸に思うことつれづれ等

昨日、「濱名惣社神明宮」に行ってきました。
前回行ったのは去年の1月だったから約2年ぶり。

浜名湖を見ながら車を走らせていると
ハートにエネが・・・
あ~そういえば前回も来たわ、と
前回のことを思い出してました。

でも今回はそのエネを受けても
ハートチャクラの傷が痛くて受け切れない。

この癒えない傷にずっと悩まされていて
自己ヒーリングやら何やらやっても
全然ダメだったんですよね。
車の中でも「もうコレは無理かも?」と
半分諦め気分になってたりして。

「濱名惣社神明宮」の目の前まで来て
そういえば前回行けなかった「初生衣神社」も
このすぐ近所なので先に行っておこうかな?
という気になりました。

初生衣神社の紹介(公式サイトより)↓

http://www.yumemusubi.com/mori/jinja/shizuoka/ubuginu.htm

++++++++++++++++++++++++++
■ 初生衣神社の概要

初生衣神社は皇太神宮に 神衣【かんみそ】を1154年から1885年まで納めていた歴史ある神社です。宮司は古来より、 神服部一族が務めています。 祭神は 天棚機姫命【あまのたなばたひめのみこと】です。

■ 用語解説

・神衣 【かんみそ】
→天照大神【あまてらすおおみかみ】が天岩戸【あまのいわと】から出てきた時に着たと言われる衣です。

・天棚機姫命 【あまのたなばたひめのみこと】
→七夕の織姫として有名な織物の神様。天照大神【あまてらすおおみかみ】が天岩戸【あまのいわと】から出てきた時に着た衣を織ったという伝説もあります。

++++++++++++++++++++++++++

「初生衣」は「うぶきぬ」
=「初衣」=「初着」=「うぶぎ」=「産着」

天岩戸から出てきて最初に来た服=「産着」
なんですね~。

由緒正しい神社ですが、今は神衣を作る神社が
伊勢神宮管轄の別神社に移ってしまったために
ちょっと寂しい感じになってます。

お参りしに行こうと思ったら
金縛り・・・というか神縛り?
約2年前に「濱名惣社神明宮」で
感じたものにも似てる。

動けるようになったら
とにかく参拝させてもらえただけで
ありがたいと思えました(^ ^;

そこから「濱名惣社神明宮」へ。

「濱名惣社神明宮」 「境内案内」より

http://www.genbu.net/data/toutoumi/sinmei_title.htm

++++++++++++++++++++++++++
本社は昔から神服部氏が伊勢大廟に奉 献する御初生衣の御清祓所とした所である。
「境内案内」より抜粋
++++++++++++++++++++++++++

初生衣神社で神衣が織られていた時代には
できた神衣を境内社の天棚機媛神社で清めてから
伊勢神宮に納められていたとのこと。

天照大神の祀られている本殿の場所が
小山の中腹の途中にあるという
ユニークな形式なんですよね。

ココでボンヤリしながら
天岩戸伝説を思い出していたりして。

そういえば私も家でパパと喧嘩した時
「天岩戸」やってるよな~。
ベッドに籠ってふて寝して
しばらく立って出て行ってみたら
パパと子どもに「天岩戸が開いた」
って言われるもんな~。

あぁいう籠ってしまう時って
「怒ってる」だけじゃないよね。
傷ついて心に蓋してる状態も同じだな~。

だいたいハートチャクラのケアも
私自身が拒否してる部分もあって
治らないんだよね。

傷つけられて
何とか立ち直っても
また傷つけられてしまって
何度も何度も繰り返してるうちに
疲れ果てちゃって
治ることを拒否してる部分あるよね。

でもよくある話じゃない。
引きこもりの人も同じだよね。

「癒し」に何の意味があるだろう?
生きてる限り、どうせまた傷つくのに
「癒し」なんて意味が無いんじゃないの?とか。

そんなことをボンヤリ考えながら、ふと

天照大神さんが天岩戸に籠った時も
同じだったのでは?
と勝手に妄想モードに走ってみる。

実際、怒って隠れた、という説だけでなく
須佐之男命の乱暴によって
天照大神が身体に傷つけられて隠れた
という話も日本書紀にあるし。

心を閉ざして隠れたのだと
捉えて考えてみた場合
心の傷を乗り越えて
天岩戸から出てきた天照大神さんは
勇気あるよね~エラいよね~。
私もその勇気を見倣ったらどうだろ?
とか勝手に考えてみる。

固く閉じた心を開いたものは何だった?
力で無理矢理に開けようとしても
開くことはなかったけれど
おかしな舞を見て笑う人々の
笑い声に誘われて自ら戸を開いたんだよね。

コレを死と再生という視点で見れば
死んで岩戸に葬られた天照大神を
再生するための儀式としての神懸かりの舞が行われ、
神々が喜んだために天照大神が再生できた
という神話だとも解釈できるらしい。

生命が誕生する、
輪廻転生があるなら再生する瞬間を
神々が喜び、どっと笑うというのは
私も自分の誕生の瞬間を思い出した時に
確かに聞いたことある。

岩戸から出てきた時に替えた服を
「初生衣」と言うのは
人は再生する時にも誕生と同様に
新しく生まれ変わる、とも読めるだろう。

「癒し」は元の状態に戻すことじゃないんだな、きっと。
「癒し」の必須要素は「変化」なんだろうな。

気持を入れ替えた途端に
不思議な治り方をした病気の話は
実話として知っている。

桶谷式母乳教室の先生も言ってたな。
性根を入れ替えたらそんな病気は治るんだよ!
と口癖みたいに言ってた(笑

「生まれ変わる」とはそういう事なんだろうな。

産みの苦しみを寄り添い、励まし、
産まれた命を抱き上げ祝福して
産み落とした人によく頑張ったね、
と声を掛ける

「癒し」は産婆さんの役割に似てるのかもね。
良い産婆さんがやることは
あれこれ口出す人じゃなくて
放置する人でもなくて
妊婦さんを上手にリードするだけ。

そういうことかもね。

「濱名惣社神明宮」から戻ってきたら
あれほど痛かった傷の部分が治ってた。
でもまだ動き鈍い(> <)
ボチボチ回復すると良いな。

それと最近、
今迄にも何度か降りてきてる
エネルギーさんからのアクセスが
増えてる気がする。

それが誰だとか
その人からのメッセージだとか
伝えてくれた人もいたけど・・・
(話してたらその場に降りてきちゃったのよね)

・・・って書いてたらやっぱり反応ある。

でもね、そのために
私が一番大事にしてるものを
失うことがあるのなら
私にはそれは不要だと思っている。

私は「人間」にこだわりたいんだな~。

見えない世界よりも
私は
見える世界が好き。

↑個人的な嗜好の問題ですけどね。

見えない世界に感謝を唱え続けるより
目の前の人間に一言「ありがとう」を言う方が
ずっと力を持つと思うんだよね。

見えない世界の存在の言葉をいただくより
目の前の大事な人の言葉を聞く方が好き。

何を失ってもコレだけはと
思うものを守るためにも
誰に何を言われたとしても
自分の目線と価値観で判断したい。

ほら、こうやって書いていても降りてくる。

それで良いんだと言われてるような気がする。

間違えない
惑わされないためにも
私にはそれが大事なんだと思う。


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